沿革 HISTORY 1978年 株式会社道路開発の設立初代 代表取締役 戸田 俊夫 当時の長野県の道は、街の細部まで舗装工事が行き届いていない個所が多くありました。 創業以来、長野県の田道や山道の舗装を行い、地域の農家や産業の発展と共に成長して参りました。 水はけの良いテニスコート舗装で技術が認められる テニスコート工事の際に求められることは「水はけ」の良いコートを作ることです。プレーに影響することなく水が流れる、精密な傾斜を作る技術が必要とされます。 当時の株式会社道路開発の代表はアスファルト舗装の傾斜0.5%という精密な施工技術を披露し、お客様を驚かせました。 この出来事をきっかけに、噂が広まり、更に事業が軌道に乗ると共に技術にも磨きがかかります。 1998年 長野オリンピック開催 オリンピックや経済成長に伴い、県内では高速道路・新幹線が開通し、上田駅周辺の再開発も進みました。 当時、市内再開発の主要工事の舗装工事の多くを施工する程、事業規模も拡大していました。 株式会社道路開発として、最も勢いのある時代でした。 オリンピック後 オリンピックバブルがはじけ、県内では公共工事が激減。 その影響を受け、会社の業績も悪化。 2002年 2代目 代表取締役 西澤 公良 就任 業績の悪化に伴い、代表者の変更や従業員の一斉解雇といった組織改革と事業規模の縮小を行う。 地道な事業活動によって多額の負債を返済し、経営基盤の再構築を進めた。 株式会社道路開発の清算 倒産の危機に直面していた会社を立て直すも、公共工事予算縮小や談合問題に揺れる建設業界の中で事業規模拡大には至らず。 2014年12月に専務が病に倒れたこともあり、2015年1月、事業を清算することとなった。 2015年 道路開発株式会社の設立代表取締役 志賀 秀義 就任 ㈱道路開発の従業員として働いていた志賀秀義が中心となって、道路開発の存続のため旧経営陣と交渉を重ねるも事業承継は叶わず。 交渉の結果、実質的な事業承継の了承を得て、新設法人として道路開発株式会社を設立。 歴史・実績・技術を継承し、新たな体制で事業を開始しました。 2020年 新たな時代の会社のあり方を模索 代々引き継ぎ研鑽を重ねてきた技術の伝承と、地域や社会に貢献できる次世代のリーダーを育むため、人材の育成に力を入れています。 現場を若手主体のチームに任せ、経験と実績を重ねることで人としての成長も促進できるよう日々挑戦しています。